結構前から、どこのサブスクリプションにも『地獄の黙示録』がないのを不思議だなあと思っておりました。たまに見たくなるたびに検索かけて「やっぱり入ってないかあ」などとやっておったのです。
それがある日突然Amazonプライムビデオに「通常版」と「特別完全版」の2バージョンも出現してずいぶんびっくりしました。
聞くところでは、春くらいに「ファイナルカット版」が劇場公開になるのでそれに合わせて、ということのようです。作りすぎだろ。
仕方ないので立て続けに見ましたが、案の定、追加のカットが増えているからと言って何かが明らかになるというようなこともなく、ただ大河の距離が長くなり、困惑が深くなっただけで、非常にいいですね。困惑万歳。
だって3時間16分もあるんですよ。そりゃ地獄ですからそう簡単に出られるわけがない。
原作であるところのコンラッド『闇の奥』も、非常に好きな作品です。また素晴らしいのがkindle unlimitedに入ってると無料で読めてしまうところ。なんと逃れがたきアマゾンの奥地であることか。
フランシス・コッポラは映画化にあたって時代を現代にうつし、ベトナム戦争の混乱の中で現地人の王として君臨したクルツを軍人として翻案しましたが、原作では帝国主義下でヨーロッパに苦しめられているアフリカが舞台です。
クルツは、象牙の交易のために現地派遣された貿易会社のサラリーマンですが、奥地で連絡を絶って、どうやら一人で象牙を集めまくっているが病気らしい。ということで若き船員マーロウが連れ戻すために派遣されるのです。
屈強な若者マーロウも真っ暗な密林を船で遡上していくにしたがってだんだん精神状態がおかしな具合になっていき、最奥地で、おかしな具合のラスボス、クルツに遭遇します。
いろんな人から神としてあがめられているし、めっちゃいい声で意味深っぽいこと言うし、死にかけのおじいちゃんなのに身長2メートル以上あって超絶威圧感あるし、この人なんだろう、とマーロウが扱いに困っているうちにでっかいじいちゃんは「ホラー!ホラー!ホラー!」とか言いながら死んでしまうのですよね。
そんなにややこしいタイミングでそんなにややこしいこと言う人他に居るだろうか。本当に、なんだったんだ、おじいちゃん。
密林とか夜の闇とかが手に取れそうに濃密に描写してある一方で、その奥の御本尊、クルツじいちゃんは近づけば近づくほど正体が一向にわからない、予定調和を完全に裏切る感じが気持ちの良い小説です。
それを踏まえてコッポラの『地獄の黙示録』を見ると、物語層では、若者が大河をさかのぼっていくと最奥地に頭がつるつるでわけのわからないおじいちゃんがいた、というくらいしか共通点はありません。
一方で、濃厚な闇がやたらにリアルな以外は、おおむね意味わからなくて唖然としてたら終わる、という読後感はこれ以上ないほど再現されていてほとんど感動的な感じがします。
緻密な計画の必要な壮大なプロジェクトを、わざとらしさなしに予定調和のとどかないところで終わらせるのって、本当に制作者が途中でわけわからなくなってしまわない限りはなかなか難しいんじゃないか、でも本格的にわけわかんなくなっちゃったらそんな大きなプロジェクトって完遂できないよな、となどなど考えると、本当に奇跡の映画。
映画でも小説でも、なんとなく気に入りさえすればそんなに隅から隅まで意味わかんなくてもいいんじゃないかな、って常々思うのですが、そういう気分の時にはどっちも最高の作品です。
『ワルキューレの騎行』を異常な精神状態で聞くための装置としてもいいですよね。
来年公開になるらしいファイナル・カット版。どうせまた話が混乱したまま河が長くなるだけだろうと期待している。ホラー!ホラー!ホラー!
小説では、マーロウ青年が、逃げ出したクルツじいちゃんを真っ暗な密林の中で手探りで探しながら 「こうやって探してたら突然猫抱いたおばさんが座ってたりして」とか考えはじめるシーンが好きです。よくジャングルでそういう馬鹿なこと思いつくよな。
映画版ではキルゴア中佐が「何があっても絶対に弾にあたらない」というシーンが好き。めちゃめちゃ面白いけど、あれ、運がわるいと死んでしまうんじゃないか。