晴天の霹靂

びっくりしました

アニメ『BEASTERS』 ~世界ははじめから分かり合えない

近頃はNetflixで『BEASTERS』観てます。

昨年のマンガ大賞なので今さら言うのもナンですが、面白いよねー。

 

一応あらすじを手短に紹介するべきだとは思ったのですが、自分には物事を説明する能力が一切なかったことを思い出したので早々にあきらめ、OPを貼らせてもらって説明に変えることにしました。

ハイイロオオカミは主人公のレゴシ君。彼が恋するドワーフウサギはハルちゃん。どっちも高校生。これだけ見ると人形アニメに見えるけど、本編は絵です。


TVアニメ「BEASTARS」ノンクレジット OP

 

 

私の理解の範疇で表現すると、一見、推理モノのようなはじまり方をするのですが、見ていくとどんどん学園恋愛物であるかのようなメインストーリーをたどりつつ、全体には大変に官能と暴力に匂いに満ち、かと思えば見た目はシルバニアファミリーっぽくもあり、ところによってゴシックホラー調でありながらマフィア映画的風シーンもあり少年漫画らしい冒険活劇シーンもあり、かと思えば萩尾望都的な閉ざされた寮生活の世界観みたいな様相もあり。おもしろい。

 

要素が多い中で、一番私が心を動かされるのは、「絶対にわかりあえるはずがない」という確信と恋が同時に進んでいくところです。どれだけ努力しようが絶対にわかり合えるはずがない、なぜなら君は小さい草食動物で、自分はひときわ大きい肉食動物だから。

恋愛はもともと暴力的な性質が多分に含まれているものだから、「君に会いたい」という気持ちと「君は僕だけの獲物だ」という気持ちが手をつないで一緒にやってくるのは、ハイイロオオカミでなくてもわかることは分るんです。

 

私もボチボチ「ただ恋愛もの」にはまったく興味を持てないお年頃になりまして、「君たちは思春期のホルモン過剰分泌のせいでちょっと頭がおかしくなっているだけなのだから、ホレタハレタをこの世の終わりぐらいの勢いで言いふらして回るのはよしたまえ」くらいの年寄り臭い目線の感想を持ったりしがちなところなのです(遠い目)。

ところが、レゴシ君が最初からずっと背負わされてる「わかりあえなさ」についてはすごくほろっとさせられるところがあります。

 

自分の事で考えても、別に恋愛に限らず、いろんな時点のいろんなコミュニケーションを思い出しては考えることがあるんです。

「あの人のこと好きになれないままで、もっと仲良くなる方法もあったなー」

というようなことを。

 

なぜ過去を振り返ってそんなこと考えるかっていうと、おそらく自分は、できれば好きな人とだけ関係をもっていたいとか、好きならばわかりあえるはずとか、そうやって思い込んでやってこれる程度にはレゴシ君より環境がいろいろ恵まれていたから、あんまり腹が座ってなかったんでしょう。

私がだいぶいい年して今さらそんなこと考えてる一方、若干17歳で自分の内側にも外側にも圧倒的な分かり合えなさを発見しながら、それでも破綻しそうな日常をなんとか続けようとするレゴシ君を見ると、「さて、君ならどうするっ?」と、前のめりで応援したくなるってものです。

 

 

BEASTARS 1 (少年チャンピオン・コミックス)

BEASTARS 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 

 原作漫画はkindleで一巻が無料ですね。

見ていると、これはひたすらハイイロオオカミのレゴシ君を描きたかった漫画なんだろうなあ、という気がします。いちいちの動作が大変魅力的。柄が大きいのに遠慮して猫背で歩く感じとか、ぼさっと背負ったリュックサックの無自覚さとか。「気は優しくて力持ち」って、日本の伝統的なヒーロー像の一つですよね。

 

 


TVアニメ「BEASTARS」ノンクレジット ED「眠れる本能」

 

テレビ放送の他、ネット配信で見られるのはNetflixだけのようです。