晴天の霹靂

びっくりしました

伊藤潤二『人間失格』 ~Kindle端末を取り落とすほどびっくりしつつ読む

 

「この小説ってコメディなんだよなあ」

ということは、自分が著者の没年を超えたあたりからうすうす気づいていたもんですが、どうも文章が湿度の高い方向にうますぎるので読み直しても途中で嫌になってきて困っていたのでおなじみの太宰治人間失格

それがここにきてホラー版コミカライズに出会い「なるほどこの読み方があったのか」という発見はKindle端末を取り落とすほどの衝撃でした。

めちゃめちゃおもしろいではないの。

小説で読んでいてどのへんで嫌になるかと言って、大庭葉蔵のほぼ唯一の幸せ期、「人を疑うことを知らない聖処女ヨシちゃん」(まあこの発想の時点で相当おぞましいけど)との新婚生活期に、顔なじみの編集者による強姦事件が起こって、家庭生活が破綻していくあたりなのです。

暴行された妻に対する同情がまったくないままに「失われた自分の無垢な生活」を思ってくよくよと被害者をいびるのを読んでるうちに

「もうお前のことはどうでもよし」

と、だいぶうんざりしたもんです。

 

それがホラー漫画としての文脈で読んでいくと、どうも大庭葉蔵はNTRで、

「おおーっ、汚されたっ!汚されたっ!」

とか煩悶するうちに性的に大いに盛り上がってきちゃうフシがあり、

「うーん、そういうことなら倫理的にはともかく、感情の軌跡としては全然わからんではないな」

と、初めて葉ちゃんにドン引きしないで読み続けたものでありました。むしろ結構白眉のシーンだった。

 

あと小説の冒頭の、名家のぼっちゃんとして育っていた子供時代に家に下男下女から葉蔵自身が性的な暴行を受けていたという描写。

絵で見るとすごいインパクトがあるので

「え、そんな話あった?」

と思って、いったんコミックを閉じて原作小説をわざわざダウンロードして読んでみたら、本当にはっきり書いてあったのには仰天しました。

むしろ我ながらこれまでそこを読み飛ばしてこられたのがすごいことでもあり、ヨシ子が性暴力を丸々無視されたまま小説内世界が強引に進んで行くのと同じように、幼少期の主人公も性犯罪を丸々読者(私)に無視されながら成長していたのは、気づくとたいへんに後ろめたい描写でありました。

さて、作家はこれを読み飛ばされることを承知でこの猛毒を目立たないようにこっそり仕込んでいたものか。

 

いつも袖の長すぎる学生服を着ているぼーっとした同級生とか、ヒラメみたいな顔をした父親の腰巾着とか、片足の不自由な薬局の幸薄い未亡人とか、言われてみればホラー的に優れたキャラクターも続々と登場しており、

「いやー、どうしてこの面白さに気づかずに来てしまったものだろうっ!」

とたいそう煩悶したもんですよ。

 

 

 

 

それにしてもこの表紙はどうなんだ角川文庫。

ぬか床育成日記 ~生糠なのか炒り糠なのか

うちのかわいいぬか床マコンドである。

とりあえず他に適切な容器がなかったために果実酒瓶に入っているが、思うにこれはだいぶ正解であるような気がしてきた。

何がと言って、ガラスだから発酵具合が目視でもわかるのである。

これは野菜を漬け込んだ直後、上からそれなりにぎゅっぎゅと押さえつけはしたが、それでも空気が入ってしまってる様子が見える。

これが翌朝になると乳酸菌がたっぷり呼吸して中の空気が膨らんでるのが一目みてわかるのだ。

ちょうどいいときの膨らみ具合を毎日見てチェックしていけば、これから気温があがってきても温度管理がしやすいはずである。

遮光性がないことによる糠の酸化の心配などをしたものだが、今のところぬか漬けは過去最高に美味しいし、そのへんの問題はあまりないのかもしれない。

ガラス製なので重量はそこそこあるものの、取手がついていて片手で楽に持ち運べるのでめっぽう便利。

 

 

それにしても今回のぬか床はずいぶん味良く仕上がっているので

「いったい何がうまくいってるのだろう」

と我ながら訝しく考えてみたりする。

1,真冬の室温ではじめたのが実はぬか床的にトップシーズンだった

2,厚いガラス瓶なので外の温度変化をあまりダイレクトに受けすぎずに環境を安定させやすい

3,毎回野菜と一緒に必ず水抜き(ヤクルト容器で手作り)を入れて水分量の調整をしている

4,抜いた水分量に応じて毎回かならず塩を追加する

などなど、過去の経験を生かしてそれなりに複数の工夫をしていた結果、合わせ技でうまくいってるのか、我が浅知恵などほとんど関係ないけど偶然なんかうまくいっちゃってるのかのどちらかではないかしら(当てにならん)

 

ところが、二度目の足しぬかを貰いにお米屋さんに足を運んで一番大事と思われることにハタと気がついた。

「そもそも米糠がうまいからぬか床がうまいんじゃないか」

今まではスーパーで買った炒り糠しか手にはいらなかったのである。

今回はじめて、その日に精米した米糠を生のまま使ったぬか床を育成しているのだ。

 

ネットで調べてみるに、ぬか床には「絶対に生糠が良い」という人と「虫がわくことがあるから必ず炒るべし」という人と、「生でも炒りぬかでもどっちもたいしてかわらん」という人がいるようだ。

どういうルートで糠を手にいれることができるかという状況次第なのではあろうけれど、実際、新鮮な糠が手にはいるんであれば、

「これは圧倒的に生糠に軍配があがるんじゃないだろうか」

と、私としては思った次第。

そもそも糠の段階で「あっ、おいしそう」と思わずもらってきちゃったくらいのものなのだから、それはまあ、できたぬか床が美味しくても不思議はないのだ。

 

 

また「新鮮な生の糠」っていうのが、金を積んでも手にはいらない貴重品であることもなんかいい。

時々お米屋さんに行って

「すいませーん、糠いただいていきまーすっ」

っていう感じが贈与経済っぽくてロマン。

 

 

 

気温が上がってくる季節なので、韓国産漬物用唐辛子を入手して塩と一緒に入れている。

糠が赤くなるくらい入れてもそんなに辛くなく、美味しい。

 

『詩と散策』 ~詩は若い頃ほど身にしみるのか

春が近づいてくると、野鳥の声に耳を澄ます人の姿が目につく。

木立の中で、まるで自分自身も木になってしまったように、ふっと足を止めて息を潜めている人を見ると

「ああ私に似た人がいるな」

と、なんとなく思うものだ。

ぼんやりと無目的に歩き、世界から声をかけられると立ち止まって返事をしようとするような人が、こんな足元の悪い季節にもきっとふらふら外を歩いているのだ。

 

「散歩を愛し、猫と一緒に暮らす詩人」のエッセイ集を読んだ。

 

大人になってからあんまり詩の言葉が深く胸に刺さらなくなってるのではないだろうか。

そういう疑惑を、ずっとうっすら持ち続けていて、だからきっかけさえあればいつでも詩を読みたいとも思っていたのだ。

思春期前にとりわけ詩を多く読む生活だったかというと、そもそもまったくそんなことはないのだけど、それでも学生時代は授業で使う資料集などにたくさんの優れた詩が載っていて、それは熱心に読んでいた。

だから今でも秋口にカラマツの林を過ぎるには白秋の悲しみを受信するし、

静かな雪がふりしきる夜には三好達治の太郎と次郎が寝てるのだろうと思う。

そんなふうに、何十年分身体に入るくらいには読んでいたものを、大人になると詩の言葉は身体を素通りするようになるのだろうか。

それとも最近きちんと詩に出会う機会が少ないだけかしら。

そう思ってこれまで名も知らなかった詩人のエッセイ集を買ってみたのだ。

 

学生の頃、授業の合間合間に読んでいた詩の言葉は、その後生活の中へ移動していたということに、読んでいるうちに次第に気づいてくる。

例えば木立の中で立ち止まって鳥の声に耳を澄ましている見知らぬ人の姿が、

例えば猫を膝にのせて撫でながら失ったものを思い出す毎日の瞬間が、

例えば死によって個性を失い普遍性を得た母とようやくわかり合う悲しみが、

ああ、あれらは全部で詩であったかと。

そうであればきっと、どこかで誰かがもう言葉にしているはずだ。

 

木立の中で野鳥の声を聞く人に、あるとき突然出会うように、言葉の羅列の中をぼんやり歩けば自分の姿によく似た詩に、これからもまだ出会うんだろう。

 

心のかぎりを尽くしてきたから、老いたんだね。

 セシル・バジェホ「夏」

 

 

 

カップウォーマーを諦めて携帯用魔法瓶を買う

カップウォーマーを使っていたらものの数ヶ月で壊れてしまったのです(一代目)

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

貰い物で、当初はたいして興味もなかったものの、使い始めてみたら大変に便利で手放し難く、動作が怪しいとはいえ全く電源が入らないわけでもないのだからしばらく無理やり使っておりました。

しかし、電源がなかなか入らなかったり、勝手に温度設定が変わったり、いつのまにか電源が入っていたり、あぶなかっしくて仕方ないのでついに断念。

「少々値が張ってもよいので、もう少ししっかりした作りで似たような商品はないのだろうか」

と探してみました。

 

思うに、安全基準上の問題などではないかと推察されるのですが、同じ構造の国内メーカーの商品というものは皆無で、やはり商品説明も不自然な海外の商品しかみあたらないのでありました。

海外向け電気製品の何が心配と言って、電源プラグの形がそもそも違ったりすることで、私が使っていた一代目のカップウォーマーもプラグの刃に丸い穴が開いてない、見慣れない形をしていました。

よく考えてみれば使わない方がいいに違いのですが、実際使えたし、なんだかよくわかっていなかったので使ってしまっておりました。

しかし、すぐに壊れたとあっては、そこはやっぱりちゃんと国内基準に合致しているプラグが欲しい。

 

それで見つけたのが雑誌『家電批評』で加熱コースター部門に選ばれたという商品でした。

雑誌で紹介されているということは、少なくても安全上の法令違反がないかどうかはチェック済みであるにちがいない。

というわけで、買ってみるとめでたく穴あきプラグのついたものが到着しました。

そこまではよかったのですが、そのプラグを差し込み電源を入れた瞬間から、温度設定が勝手に変わるやら、勝手に電源が入るやら、今手元にある一代目の壊れたカップウォーマーと同じ挙動をしはじめたには大変驚きました。

やはり駄目か。このタイプの商品がそもそも無理があるってことなんだろうか。

と、泣く泣く(その日のうちに)返品。

 

寒い北国にあっては画期的に使いやすく、とても気に入っていたのですが、カップウォーマーについては当分のあいだもう諦めることにしました。

5年後くらいに素晴らしく商品開発が進んだらいいなという願いを込めつつ。

 

 

 

 

ついでにそんな失意の中、季節品のワゴンセールで象印の小さい魔法瓶がセールになってるのを発見したんです。

こういうステンレス断熱系のものは10年くらい前に色々と試行錯誤した挙げ句、保温性に納得いかなかったり、デザインがつまらなかったり、ワンシーズンも使うとパッキンに匂いがつくのが気になったり、小さいパーツを洗うのが手間だったり、といろいろあって結局やめたのでありました。

それが、今改めてまじまじと見ると、デザインも多様だし、サイズも手頃だし、洗うことも考えてデザインの工夫がしてあるし、なんだかえらく進歩してるなあ、と感動。

返品したカップウォーマーよりだいぶ価格も安いので買ってみたのでした。

 

昨今はやりのSDGSのお陰というものか、最後にこの手のものを買ったときよりだいぶ使いやすいし、かわいいし、ここに来て思いがけず大満足なのです。

なんだなんだ、もしかして象印こそ最高だったのか?

『ベネデッタ』 ~自分の身体の中にあるボキャブラリーで生き延びる

『ベネデッタ』見てきました。

ベネデッタかわいい。最高。


www.youtube.com

 

17世紀の修道院でいろんな神秘体験を通して「私はキリストの花嫁」とか言い出し、裁判にかけられた女性の話です。

 

中でも神への冒涜の疑いと同時に同性愛の罪で裁かれるシーンが大変におもしろかったです。

裁く側の人たちがベネデッタの寝室で起こったはずのことについて、目撃証人に

「何を見たのかいいなさい」

「そんな淫らなこと口にできない」

「いやいや、大事なことだから逐一詳しく説明しなさい」

みたいな、ちょっとした羞恥プレイとして盛り上がってるのに、当のベネデッタがわりと普通なのが、興味深いのです。

 

わざわざ裁判をしに遠方から来た偉い人(男性)は、お抱えの娼婦がいるような暮らしなので、肉体関係を当然のように劣情と結びつけて捉えているし、

修道院長(女性)は、自分自身に娘がいる身の上なので、現実の問題として性行為を理解した上で当時の社会規範に照らして「口にすべきでないこと」と捉えています。

ところが、6歳で修道院につれてこられて、外の世界を知らず、宗教教育だけを受けて育ったベネデッタにとってはすべてのエクスタシーは神秘体験であり、恥ずかしいこととか劣情であるとか、そういう発想が全然ないところが、もはや無双状態で、はからずも権力構造が逆転する一瞬のようにも見えます。

 

性の目覚めの段階で24歳のベネデッタは、十字架の上のキリストに呼ばれる夢を見るのですが、

「腰布を取れ」

と言われて取ったら、裸のキリストの股間は女性と同じ形をしています。

性的な知識の全然ないなりにその想像力を駆使した上でキリストと交わした婚姻の交わりが

「手のひらを重ね合わせたらすごく痛くて血が出る」

というビジョンであるあたりが、本当に与えられた環境と知識の中で強い意志を持って生き抜く決意をした女性、という感じで、いじらしくもかわいい。

 

中産階級の出身で食べるに困る家柄ではなさそうなベネデッタが、まだ幼いうちに修道院に入れられた理由については何の言及もされていません。

仮死状態になる経験などから考えてみると、幼少期からてんかんの発作があって幻視を見たりする体質で、これでは結婚は難しいのではないかと踏んだ両親が、それならば早いうちにということで持参金をつけて修道院へ送り込んだようにもみえました。

 

そんなベンデッタを、持参金と寄付を目的で引き取りながらも、その神秘体質に憧れの思いも持つ修道院長。

家庭での虐待から逃れるために逃げ込んできた修道院で、ベネデッタが実家のお陰で多少大事に扱われてることを見抜き、庇護を求めるように愛人になった貧しい家庭のバルトロメア。

ベネデッタと同じ年頃で同じように外の世界を知らずに育ちながらも、ビジネスライクな母のお陰で現実主義者に育ち、母の愛を求めるリアリストになった修道院長の娘クリスティーナ。

 

それぞれの立場でそれぞれの持てるものを使ってなんとか生き抜こうとしている女性たちが、全員素晴らしく、

なんとなく「女は欲望の対象として都合よくあしらっとけばいいか、ガッハッハ」の教会幹部男性陣に比べて圧倒的に個性があって魅力的でありました。

カーテンの向こうきさらぎ猫の足

猫が爪がカーペットにひっかかって歩きにくそうにしているので久しぶりに爪を切った。

うちの子はずいぶんと爪切り嫌いの猫で、ほとほと手を焼いたものだが、最終的にYou Tubeでキャットグルーマーの動画を見て研究した結果、抱っこさえさせて貰えれば切れるようになった。

爪切りを持ち出す前にしっかり胸に引きつけて抱っこのポジションを決め、猫が一番落ち着いて、かつ暴れにくいように手足の位置を安定させる。

あとは機嫌を取りながらさっさと切って、嫌そうな素振りを見せたら鼻歌歌ってチークダンスを挟んだりしつつ、なんとなく狐につままれてるうちに速やかに終了させる。

暴れん坊スイッチを入れないようにする以外に、猫の協力を仰ぐ道はないのである。

 

そんなわけで久しぶりにすっかり爪先の丸くなった猫は、カーペットの上を走り回るのは快適そうに見えるが、キャットタワーに駆け上るときはズルっと滑る。

これは人間のために爪切りに協力してくれたからこそ起こるハプニングなので、彼女にとってはいささかも恥じることではない。

それでもキャットタワーから足を滑らしてぷらーんとぶら下がる猫の姿は可愛く、バレないように顔をそらして一瞬笑ってしまうのではある。すまん。

 

猫にとって最高にテンションの上がる春の気配がやってきているので、昨今ではちょっと運動させないとゆっくり寝てくれない。

いきおい、深夜布団の上で猫じゃらしをして遊ぶことになる。

昔からお気に入りのエビさんの付いた猫じゃらしが、今年もまだお気に入りだ。

折からの電気代高騰への対策として今までレースカーテンだけ吊るしてあったガラス障子の窓に防寒用のカーテンも追加で吊るしたところ、猫は熱烈に、レースカーテンと防寒カーテンの間の隙間を支持した。

カーテンとカーテンの隙間に入り込み、そこから真っ黒の瞳をランランと光らせてこちらに圧をかけてくる。

何を要求されてるのかわからないけど、とにかく猛烈に何かを要求されている。

なんだなんだ、何をすればいいんだ。

エビの猫じゃらしを投げる。

カーテンの隙間が黒い手が出てくる。

また投げる。また手が出る。また投げる。手が出る。

そんなに気に入ってもらえるなら、つくづく、カーテン買って良かったよ。

 

 

ぬか床育成日記 ~繁栄を祈って命名

 

開闢からひと月ほどとなる我が家のぬか床「マコンド」が順調である。

何を漬けても美味しいのでせっせと漬けてはせっせと食べてるうちに気づいた。

私は「これ、生じゃん!」となるくらいの浅い漬かり具合が好きなんである。

どんぶり一杯食べたいから。

大量に食べるために、歯ごたえバリバリ、塩気はうっすら、という具合がいい。

そして生活リズムになじませるために、だいたいのものが24時間で食べ頃になる程度の発酵具合に調整しておきたい。

それらを考え合わせるに、今のこの季節が私にとってはぬか床ベストシーズンである可能性がある。

今はまだ夢のようであるが、やがてはやってくるに違いない暑い季節に向けて、ぬか床マコンドと緊密に連絡を取り合いながら様々な気候を乗り越えていくことが肝要といえよう。

 

今回の新天地における秘密兵器は「漬けもの名人」である。

過去の経験を鑑みるにどうやら茄子を漬けるのがうまくない私が、

「これで綺麗に浸かるようになるならずいぶん安い買い物だ」

と思って買ったぺらぺらの銅板である。

岡部洋食器 漬けもの名人

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底の方に沈むとなかなか見つけられないくらい小さなものなので、もはやぬか床マコンドに入れっぱなしのままほとんど存在も忘れているくらいだが、お陰で茄子の美しさは素晴らしい。

色もよく、皮も固くなることなく、むしろこんなに簡単な漬物、「どうやったら失敗するのであろうか」と首をひねるくらい簡単に美味しく漬かる。

(もっとも皮が柔らかく仕上がるのは季節柄かもしれず、盛夏の茄子だとどうなるかはこれから徐々に判明するはずだ)

 

とにかくぬか床マコンドは良い調子だ。

何をやってもうまくいくようで、栄枯盛衰の歴史の中には不思議と、こういう黄金時代というのは必ず組み込まれるものらしい。

 

 

 

 

人類の孤独と欲望と叡智とロマンを吸い込んで大きく育てマコンドよ。