晴天の霹靂

びっくりしました

『アラビアンナイト 三千年の願い』~どこかへ行ったら帰ってこよう

アラビアンナイト 三千年の願い』を見てきました。

めちゃめちゃ楽しい108分でした。

終わらないお話っていいよねえ。

 


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すでに見た友人に「面白かったよねえ」みたいな話をしますと、これがびっくりしたことに「いや、ちょっともう一回見ないとわからない。難しかった」などと言われたんです。

「どこをどう見たら難しいことなんかあるんだ。イスタンブールに行ってロンドンに帰ってくる話じゃないか」

「それだけなはずは無い」

「それだけに決まってるではないか。『マッドマックス 怒りのデスロード』を見なかったのか」

「いやいや、ぜんぜん違う。あの物語研究者がね……」

とか言いだすわけで、話がぜんぜん噛み合わなくてそのへんも興味深かったです。

 

『怒りのデスロード』が変な車が砂漠を走ってるだけで延々と見ていられる映画だったのと同じように、

物語とガラス瓶と孤独と少女趣味の服が好きな中年女性がひっそり暮らすだけで延々と見ていられる映画になるというのは、素敵なことではあるまいか。

どこかに行ったら帰ってくるというのは大事なことだし、帰ってきたら出発前より物事が少しだけ変化してるってのも大事なことです。

そして物語は人間よりはるかに寿命の長いものではあるけど、人間が大事に関わらないと死んでしまうものだってのも、まったくその通りだと思ったことです。

 

「いやあ、私も生きてるうちにもっとたくさんの物語を読もう」

なんてことを思いながら、終始ニコニコとして見てきたのでした。楽しかった。

 

 

 

 

ジョージ・ミラー監督の前作。行ったら帰る。これ大事。

光の蝶追いかけている猫寝言

年越しに買った生花に入っていた松の枝先から小指の爪くらいのサイズの松ぼっくりがポコポコと生え、同じような日々を送っているようでいて季節が動いているのだなあと実感させられる。

年越し用の生花には、流通上の理由からであろう、花よりも長持ちする枝ものがおおくて、南天やら、葉も実もないので名前を調べようもない植物棒やら、これまた目立ちさえすればなんでも商品だとばかり銀のスプレーで着色されてしまった謎の小枝まで、何本も細い木が入っていた。

愛想のない木の枝は、その分枯れることもないので花と一緒にいつまでもグラスに挿してなんとなく世話をしていたら、謎の植物棒からはたくさんの生き生きとした葉が出てきて、魔法のようだ。

葉が出たからには、このまま花が咲いて実もつくのだろうか。

正月から春まで、きちんと一筆書きで続くサイクルであることが、小さなグラスの中の劇場に映し出される。

 

グラスの外はまだまだ長く続く冬で、毎朝雪の心配をし、光熱費に頭を悩ませ、猫と毛布を分け合ったりする日がなかなか終わる気はしない。

「今日は猫の日だって」

それでも真冬のころよりちょこちょことこたつから顔を出すようになった猫に、2月22日のお祝いを言う。

なんとなく正中線がずれた姿勢のままぼんやり座ってこちらを見る猫。

「おまえさん、最近よく寝ぼけてるねえ」

近頃は寝言も多いし、きっと春先の猫はいつもよりちょっと良い夢を見るのだと思う。

 

 

 

 

キャラメルコーンから逃げがたい

私が子供のころでもすでに「妙にレトロなお菓子」の枠として認識していて、キャラメルコーンが特に好きだったことはないのだ。

それが、最近どうも度々買う羽目になっている。

オトナの所業としては全然よろしくないことではあるが、これは私が変わったというよりは、キャラメルコーンの方でなにかあったということではないのだろうか。

 

スーパーに行くとだいたい三色売っていて、茶色いやつと一番なかよしである。

 

たぶん、この令和の時代にキャラメルコーンの方でも

「これからも頑張って時代の波間を泳いでいかなきゃ!」

と思った瞬間があったのであろう、ある時から急にスーパーで目につくようになったように思う。

 

うちには先代猫のための祭壇があってかわいい季節物のお菓子なんかあると買って飾っておいたりするので、受験シーズンの招福猫バージョンかなにかのときにふと買ったのだ。

昔はベタベタした甘さと、唐突に出てくるピーナツの脈絡のなさに、付き合い方を測りかねていたような記憶ばかりあるのだけど、

何十年の時を経て食べてみれば、時代に合わせて味も微調整しているのか、続けてもう一袋買ってしまったくらい、うっかり美味しい。

こうなってくると、赤一色からいつの間にか3色展開に増えているパッケージも、それぞれどう違うのか気になるくるもので、なんだか言い訳しながらまた買う。

色々値上がりしてるご時世に100円以下なのも、袋のかわいい目玉とふと目が合いがちなのも相まって、どうも最近キャラメルコーンから逃げられない。

正面から見ると扁平な中にまん丸の目玉だけが目立つうちの黒猫の表情に似すぎているという言い訳も、すればできる。

 

本当に、いい年してあんまり食べて喜ぶようなもんじゃないよ、と言いつつ、目が合えばやはり買う。

いったいこれは、なんの中毒性なのか。

 

 

編み物のお供に最適だった吹き替えNetflixドラマ

最近、編み物をしながら見た楽しいドラマについて。

 

編み物しながら見る動画って、吹き替えであることととか、目が釘付けになるほど極端に面白すぎないこととか、それ相応に条件があるのだけど、

「もしつまらなくても、編み物の方ははかどるのだからそれも良し」

というので気楽に観始めることができてとても楽しい。

 

『エミリー、パリへ行く』

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Netflixの内容紹介を読むと「仕事に恋に友情に全力投球」とか手垢の付きまくったことが書いてあるので、「今どきNetflixでそんなダサいことやるのかっ!」とびっくりするわけであるけれども、みんな大好きビルドゥングスロマンはやっぱり面白い。

またファッションが可愛らしいので、「次はこんな色の糸を買ってみるのもいいな」なんて思いながら観ていられるのも大変楽しい。

私が子供のころってまだ日本中に「贅沢で楽しいものはだいたいぜんぶアメリカにある」みたいな無邪気なアメリカに対する憧れの空気ってあったのを覚えているのだけど、

『エミリーパリへ行く』を見てると、それと同じくらいの無邪気さでもって「文化の成熟は全部パリにある」とアメリカ人が思っている感じが伝わってくるのが斬新だった。

 

 

『ダーマー』

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シリアル・キラーの実録物って私は結構好きで、なぜかといえば、見れば見るほど「なぜ彼らはシリアル・キラーなのに、自分はそうでないのか」というのがわからないせいだ。

道徳性が高いからとか、意志の力が強いから、ということによってその差があるわけでないことだけは確信が持てるので、そうなると考えうる社会やら環境やらのひずみを、じっと見つめると目が離せなくなる。

この作品は、加害者がいるだけでは連続殺人事件にはなり得なくて、被害者が出続けても黙殺する社会があるからシリアル・キラーが生まれうるという側面に強くフォーカスしてるところがひとつの回答としてある。

犠牲者の中に耳の聞こえない青年が居るのだけど、その人が持っている「音のない、完璧な世界」の描写が素晴らしいので、「こんなに素敵な世界を、暴力によってこの世界から消してしまうのか」という予感がひしひしと迫ってくるのが見ていて本当に悲しい。

まだ被害者遺族がたくさん存命である話をこのようにドラマにするにあたってずいぶん抗議もあったそうで、それは本当に難しい問題だと思うのだけど、映像作品としての力が圧倒的なのでついつい、最後まで見てしまう。

 

 

『AJ&クイーン』

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パターナリズムマッチョマンが出てこなくてド派手なドラマってだけで、あたしゃ大変楽しい。

どんどん行こう。

 

カップウォーマーの悲劇 ~やはりすぐ壊れてしまうのか

カップウォーマーの電源が、ある日突然入らなくなった。

使い始めてからまだ3ヶ月くらいしか経っていないはずで

「やはり説明書の日本語も怪しい聞いたことがないメーカーの製品はこのようなものか」

と、納得したことはしたのだけど、実のところ日々愛用しすぎていて、すでにないと生活に困るレベルになってしまっている。

 

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

毎日使ってるとはいえ3ヶ月程度なら部品のどこかが消耗したということでもないのだろうから、とりあえず分解してみた。

「シンプルな電気製品は分解して組み立て直せばなんとなくなおる」

というのは、日本古来から伝わる名言である。

 

分解すれば予想通りの単純この上ない仕組みであり、

「直すところも何もないな」

と思いながらもとに戻す。

コンセントにつなぐと、めでたく再び電源が入るようになったのでたいそうテンション上がったのもつかの間、今度は放置するうちに勝手に温度設定が変わっていたり、勝手に電源が切れていたり、はたまた電源が切れなくなったり、加熱系の電気製品としては危ないことこの上ない。

 

こんなに毎日使うならもう少し値が張ってもよいから、国産のメーカーで似たような製品でもないだろうかと探してみるが、これが意外と見つからない。

似た製品はたくさんあるがどれもほぼ例外なく中国のメーカーのもののようで、

もしかしたら安全基準かなにかの問題があって日本で生産ができない構造なのかもしれない。

かろうじてアメリカ製のものをひとつ見つけて非常に心が揺らぐ。

 

とはいえ、不安定ながら機嫌の良いときはちゃんと保温してくれる中国製ウォーマーを無下に捨てるのも気が引けるし、しかし温度制御ができなくなって発火でもしたら恐ろしいことだし。

かと言ってアメリカ製なら大丈夫ということはあるのかどうか、ちょっと不明だし。

もう今さら冷たい飲み物を我慢する生活に戻るのも辛いし。

 

悩みながら、結局不安の残るウォーマーをずるずる使ってしまう今日このごろである。

いや、買い替えるべきなんだろうなあ。

 

 

カーテンを吊るし、猫を抱く

春分も過ぎたのに、また寒波が来て寒くなった。

朝、暇を持て余してウロウロする猫の気配を感じつつ、布団を出たくないので懸命に寝たふりを決め込んでいたら、しまいに私の身体の上に前足をつき、身を乗り出して必死に鳴き出す。

薄目を開けてそーっと盗み見をすると、

「意識を失った人のために全力で助けを求める賢い子」みたいな絵面になっていてうっかり笑ってしまう。

「『世界の中心で愛を叫ぶ』かっ!」

と突っ込んだところで私の負け、寒い中起きて猫に餌をやるのである。

 

ご多分に漏れず、電気代の請求を見て青くなったので、カーテンレールを買った。

「あそこから冷気が来てるんだよな」と気になっていた金属製の玄関ドアの前に取り付けて、家で一番厚いカーテンを吊るす。

布一枚のことで快適度はずっと増し、あきらかにスースーする感じが減ったにはだいぶ満足した。

これからずっと、夏は暑いし冬は寒いし、電気代はたぶん下がらないのだから、家中のカーテンをちゃんとしたものに変えようかしら、などと考える。

とはいえ、安物でないカーテンは安物でない値段がするのだから光熱費の少ない月に一枚ずつだなあ。

 

「80代の女性がこんにゃくのたらこ和えを盗んで逮捕された。所持金はなかった」というようなニュースを見るにつけ、『レミゼラブル』で読んだ世界はずっといつも近くにあったんだな、と近頃よく思う。

闘う者の歌が聞こえるか

 

外にハネていいなんて聞いてなかった

思うに、私の髪は長く伸ばしていくとゆるいウェーブなのだ。

毛が本当にまっすぐな人というのはあんまりいなくて、たいていの人がそういうものらしいというから、そうなんだと思う。

若い頃は人生の殆どがショートカットだったので気にしたこともなかったし、長くしてみたら当時の美容師が縮毛矯正をかけるようになったのでやはり気づかなかった。

その後お世話になったどの美容師さんにも

「全然縮毛矯正なんて必要ないのになんでかけてたんですか」

と驚かれ、実際自分でもそう思うのだけど、自己主張弱めの人間が美容師と友好的になろうとして、言いなりに高い施術を受けてしまうのはありがちな現象ではある。

伸ばしたこともなかったので、任せる以外に何もアイディアがなかったのだ。

 

そんなわけで、縮毛矯正などせず、ミディアムからボブくらいの長さでいることが多い昨今、私は気づいた。

放って置くと片側が外巻きになって、反対が内巻きになるのである。

顔の両側にひらがなの「し」が一個ずつ並んでる感じで、まあちょっとおもしろい。

これを美容師さんはどうするかというと、どの人もブローで両方を内巻きにするのである。

「なるほど、そういうものなのだな」

と私は思った。

毛とは内側に巻くものなのか、と。

 

しかし、外側に向かって「し」になっている毛は、自分でいくらやっても絶対に内側を向かない。

私は美容師さんに聞いてみた

「自分でやると、こっち側だけ絶対に外にハネるのは、なぜなんでしょうか」

びっくりしたことに、美容師さんはこういった。

「えっ?そうですか?なんでだろう?」

ブローが上手すぎて自分でどういう技術を使ってるのかまったく意識にのぼっていないパターンであった。

予想以上に参考にならないリアクションだったので本当に驚いたが、この人が私が人生で一番好きだった美容師さん(猫好き)である。

一年近くまったく行けてなくて寂しい。

 

しかし長年任せっぱなしにしていた美容師におんぶにだっこ方式から離脱したお陰で、寂しさと引き換えに得たものもある。

とりあえず髪について自分で考えねばならないことが増えた。

さすがに、顔の両側に「し」をぶら下ておくのは、あまりよろしくないのではないか。

そう思って、他のみなさまはどうしていらっしゃるのか色々調べてみたところ、すごいことを発見した。

どうも「外はねワンカール」というスタイルが流行っている気配がある。

「うっそ、毛って内向きに巻かなくてもいいのっ?」

と、昭和生まれびっくり。

 

このヘアスタイル、野面の私に似てるみたいだけどなあ。

そう思って、内側に向いてる方の「し」をちょっと濡らしてくいっと外向きにしてみた。

外を向く「し」をうちに向けるのはえらく難儀なのに、内を向いてる「し」を外に向けるのは理不尽なほど簡単だった。

より自然な分だけ、むりに内向きを目指して力尽きた「し」より、ほぼ何もせずに奔放に外を向いている「し」の方が仕上がりもご陽気で良いようである。

 

「ああ、外ハネか。外ハネという概念になぜ今まで気づかずに来てしまったか!」

と、頭を抱えると同時に、今気づいて本当に良かったとも思う。

危うくドライヤーの熱風で自分の髪から水分を奪い続けることに人生の多大な時間を費やすところであった。

素晴らしい発見に気を良くしたので、ついでに眉切バサミで、持ち前の癖がいちばんやんちゃにハネるくらいの長さまで自分でジョキジョキとカットした。

ますます美容室には行きづらくなりはしたが、「自分で色々やっちゃう感」はなかなか気持ちが盛り上がる。

 

物事は、こういうわけのわからない感じでいきなり解決することが、あるもんだな。

 

 

 

 

 

私の髪に奔放をもたらしてくれた素晴らしき文明開化、ディフューザー

やわらかく拡散させた風と低めの温度で乾かすと、高温強風乾燥のときとは違う、ありのままのレリゴーヘアーが出現。