晴天の霹靂

びっくりしました

千円カットと注目の取り組み

色々あって半年ほども美容室に行けていないまま髪が伸び、このままうっかりしてると感染症大流行でまた身動きとれなくならないとも限らない。

伸ばたら伸びたでまとめてしまえばやっていけなくもなくもないが、毛先が薄くなってくるのはやはり気にはなるので、この際だから試しに千円カットに行ってみた。

手入れのために毛先をnセンチ切る、というくらいのことならば、家で新聞紙敷いて学童用の工作バサミでジョキジョキやるより、道具の揃ったお店でやるだけでもだいぶ楽で正確なはずだ。

 

外からはあまり様子のわからない店のドアをあけて入ってみたらまず発券機があって、その横にあまり接客が得意でない風の男性がいきなり立っていたので驚いた。

彼はなんとなく内気そうな様子でボソボソと小声の早口で色々言ってくる。

「カットをお願いしたいんですが」

「はじめてのご来店ですか。シャンプーなしのカットでいいですか」

「はい」

「マスクしたままのカットになるので家に帰ってから小さい毛とか出てくる可能性ありますけどいいですか」

「はい」

「帽子被ってらっしゃるので帽子のあととかついていると正しく切れない可能性あるけどいいですか」

「はい?……あ、シャンプーしていただいたほうがちゃんと切れるってことですか」

「シャンプーはできないので、帽子のあととかついているとちゃんと切れない可能性ありますけどいいですか」

「えっ……はい」

 

もしやこれは「帰れ」と言われているのではないかと、だいぶ不安になってはきたが、しかし入った以上、回れ右しにくいのも事実である。

「入ってきてごめんなさい」という哀愁をいだきながら、なんでもいいからとにかく3センチ切ってもらうことに心を決めて発券機にお金を投入する。券は出ない。

シートに案内され、びっくりしたことにその発券機横の男性がそのまま無言で切りはじめる。

10分程度で毛先を3センチ、最後に掃除機みたいな機会で毛先を吸ってくれて終了。

ちょっと犬のトリマーさんみたいだ。

 

最初は客は誰もいなかったのに、やってもらってる間に見る間に四人くらい来たのもびっくりしたし、全員男性だったことにそのときはじめて気づいた。

「そうか、基本的に理容だから警戒されたのかっ!」

もうずいぶん長い間いきつけの美容室にだけ通い、なにも言わずに黙って座ってれば髪から顔から眉毛まで、全部いい具合にしてくれる環境に慣れていたので、世の中に理容と美容の区別があることすら失念していた。

別に悪いことはないが、気づいてしまえばいたたまれないような気はする。

「安いくて早いし、予約いらないのも気楽だし、使いようによっては便利だけどまた来るかどうかはなかなか考えるな」

などと思いつつ、剣呑な帽子をかぶってマフラー巻いて、そそくさと逃げるように店を出た。

それでも、やはり切りたての毛先は、気持ちのいいものだ。

 

帰り道、神社の横を通ったら境内の脇にある土俵の上で、成人男女が相撲を取っている。

トレンチっぽいコートを着て、それなりにお洒落なカップルであったが

「いやーん」

などと秋空に高い声を響かせている取り組みを、見てもいいものなのか悪いものなのか判断がつかずにドキドキしながら通り過ぎる。

もしやどこからか下りて来られた神様なのだろうか。のこったのこった。

最近ハマったネトフリドラマ

近頃ハマったネットフリックスドラマ

 

ハートストッパー

 


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もう学園恋愛ドラマなんかさすがに何の興味もない、と思ってかれこれ久しいですが、瞬きもしないで見るくらいの勢いでハマったので我ながらちょっと照れました・

それも、学園で人気者のラグビー部のスター選手と地味でオタクないじめられっ子の恋がうまくいくなんて

「そんなありがちな恋愛ドラマ、おもしろいわけが……!」

なんて油断してたら、まあキュンキュンしたもんです。

自分のアイデンティティセクシャリティの輪郭を手探りしながら、人との関係を型じゃないところで作り上げていこうとする若者の姿が、まあかわいい。

また、アイデンティとセクシャリティなんていつどう変わっていくわからないって意味では別に若者だけの話ってわけでもないし、厚かましくも中年までもうっかり元気をもらうドラマでありました。

 

 

『セックス・エデュケーション』

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シーズン1のときに見て

「こんな面白いドラマがあるのかっ!」

と思ったもんですが、その後うっかりしてる間にシーズン3まで配信になっていたのでようやくキャッチアップしました。

相変わらずめちゃめちゃおもしろい。

イギリスで、地味なオタクの子が学園の人気者と恋をするってのは考えてみれば『ハートストッパー』に近い題材もいっぱい入ってるのだけど、こっちもありきたり感が全然なくて面白い。

とにかく、自分が何者かあんまりわからない丸腰のまま、人を好きになったり、抑圧と戦ったり、自尊心のために試行錯誤したりする。

一生懸命なのがかわいいし、勇気づけられるのです。

あと、このドラマは性格悪い人がたくさん出てくるのも非常にいいですね。

性格悪い人が性格悪い人なりに、「別に好かれちゃいないが居場所はある」みたいな状態って、見てていいもんです。

 

というわけで、最近めっきりハマったドラマを見るにつけ、私は学園恋愛ドラマに興味がないお年頃になったわけではなくて、いい加減ボーイ・ミーツ・ガール物語に飽きてただけなんだよな、と思うのでありました。

恋愛はそりゃまあ、面白いですよね。未知との遭遇だし。

 

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』~おじさんが変なもの拾ったばっかりに

ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を見てきまして、全部IMAXで見る体験無事終了しました。やっと指輪は壊された。

それぞれ3時間とかある長い旅ながら、改めてIMAX最高でした。

家のパソコン環境だとこれだけの長さを見る集中力はなかなか湧かないもんですが、映画館ってありがたいもんですな。

 


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養父が変な指輪拾ちゃったせいで何の得もないのに苦しい旅に出る羽目になったフロドの物語ですが、旅の最後に自力で指輪を捨てられないシーンの没入感が非常に素晴らしかったです。

第一部、第二部くらいまでは、まだちょっと

「フロドって主に目を回してぐったりしてるだけで、本当に大変な思いしてるの周りの人だな」

って思ったりもしたもんですが、実際のところは他に誰も耐えられない指輪の誘惑とずっと闘ってるわけで「絵的に地味だが超大変」なヒーローではあるわけです。

劇場で見る闇の表現の素晴らしさによって伝わってくるようになった内面の葛藤でした。

それが最後「生活と命をなげうってここまで来た瞬間」を、さあ手放せって言われても、

「そりゃ無理だよね、もう魂の帰るところなくなってるし」

っていう致し方なさが、非常に伝わってきて切なかったですね。

あそこまで苦しい体験をしてしまうと、特別な指輪じゃなくて単なるゴミでも捨てるのはもう無理だよな。

 

実際、あんなに帰りたかったホビット庄に帰ってももう適応できないし、指輪捨ててからのフロドはほぼランボー状態です。

ランボーは平和そうに見える家の地下に何十年も謎の要塞トンネル掘ってて観客をびっくりさせたもんですが、フロドの方はエルフ達に別の精神世界に連れていってもらったってことで、そこはある意味ファンタジーの方が少し優しいんですかね。

 

 

すぐ前の客席に、公開当時の2003年にはまだ生まれてなさそうなお年頃の男子が座っていました。

スクリーンが近い前の方の座席だったので私などは背もたれに張り付くようにして見ていたのですが、ふと気づくとその男子は3時間の長丁場ずっと前に身を乗り出して、それこそ食い入るような前傾姿勢で観ておりました。

その夢中になってる背中に大変な感動を覚えて、画面の中のフロドと、その座席の上のフロドと交互に観察してしまったことです。

真にファンタジーというものは、ああいう人のためにあるのではないか。

しみじみ、いいもん見た。

 

ところでガンダルはやたら杖で人をぶん殴ってたけど、魔法の杖ってああやって使うの?



 

「帰ればめでたし」じゃないのが戦争映画のつらさです

 

 

 

スカルプブラシとくるくるドライヤーと湯シャン ~2022年毛髪事情

編み物を始めたことと、白髪を育てはじめたことが相まってこの冬は帽子を色々作ったり被ったりして遊んでおります。

ふと、すごいことに気がついた。

いつの間にか、帽子が全然蒸れない。

 

思い起こせば、もともとは帽子って頭皮が蒸れて痒くなるから苦手という意識がちょっとあったのですが、昨今ではそんなこと忘れて、どこに出かけるにも帽子を被る日々になっておりました。

考えられる因果関係はアレ。半年ほど前からシャンプーをやめたことなのです。

皮脂の分泌量が落ち着いたからではあるまいか。

 

そもそもことの起こりは、「頭皮が凝るから」というので買ったスカルプブラシでありました。

最初はシャワーで流しながらブラシでマッサージしてから普通にシャンプー・コンディショナーをする日々でしたが、ある日

「お湯とマッサージブラシだけでこんなに爽快になるならば、シャンプーは何のためにやっているのであろうか?」

という疑問を抱いて、やめてみた。

 

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結果、何の困ったことも起きないままに今に至るのでありました。

整髪料が髪に溜まって重い感じがしたときだけ、洗面器のお湯にシャンプー溶いたところに毛先たらして髪だけパシャパシャ洗う。

シャンプー代とコンディショナー代とシャワーを使う量とお風呂時間が全部減ってうっかりラッキーでした。

 

髪の量も多いし、セミロング程度の長さはあるのでシャンプーリンスしてないときっと髪質がすごいことになるに違いないとなんとなく思ってたもんですが、

ある程度の長さがあっても、シャンプーを使わなければそもそもキシキシしないのでリンス的なものもいらないというのはなかなかの発見。

髪のツヤとまとまりをよくするのはコンディショナーじゃなくてほとんど乾かし方の問題であるというのは美容師さんに教えてもらって、それなりに練習したら本当にその通りでした。

我々の世代は「ドライヤーは髪を痛めるからできるだけ自然乾燥」みたいなことを言われたもんですが、今むしろ逆の言説になっているらしい。

自然乾燥が一番パサつくので少々オーバードライ気味になってもいいからしっかり乾かせ、という風潮にいつの間にか変わっていたには本当に驚いた。誰か教えてよ。

 

というわけで、シャンプーしてないことも忘れるくらい普通にシャンプーなしで過ごすようになって来た昨今、なんとなく帽子を被っていても蒸れないし、とった帽子から頭皮の匂いがすることもないし

「最近なんとなく頭皮が快適だなあ」

ということに、突如気づいたのでありました。

シャンプーがいらなくなったのは生活の快適度数からして2022年の快挙のひとつといえる。

 

 

 

 

とにかく不器用で、わしゃわしゃドライヤーで乾かしただけではパッサパサになるので、懐かしのくるくるドライヤー買いました。

根本を乾かしたあと、くるくるドライヤーでキューティクルを揃える方向にテンション掛けながら全体乾かしたら、コンディショナーしなくてもちゃんとツヤが出る。ちょっと面倒だけど面白い。

『RRR』~大予算大型猫映画来る

『RRR』を観てきました。

筋肉質の夏目漱石とパズーの親方がわっしょいわっしょい色んな手法で愛し合うのを三時間観続けるという穏やかならぬ映画でしたが面白かったです。


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タイトルを見ても何の映画かさっぱりわからなかったものの、公開前の予告映像に猫科の猛獣がいっぱい映っていたので

「大予算猫映画とあらば、観ないわけにはいくまい」

と心に決めておりました。

その点、大型猫描写は本当に全部可愛かったので超満足。

飛び出せ猫猫大パニック

よく見ると中にはなぜか草食動物が混ざっており、

「闘いに草食動物連れていっても意味ないだろ」

と思ったもんですが、どさくさまぎれに結構役に立っておりました。

使えるものはあまさず全部使って三時間。無駄がない。

 

漱石に筋肉がつくと最強になる

英国支配下の村で少年兵として仕込まれた漱石が、紆余曲折を経て

「いや、武装蜂起以外にも闘いの方法はあるんじゃないか」

と考え始めた話かな、と思って観ていたんですが、結局武器を持ち帰って故郷の民間人に渡したので

「あれ?そういう話だっけ?」

とちょっと慌てました。

途中でいったん違う話の流れになってから、急カーブでもとのところに着地したような気がするのではありますが、全体にハイカロリーで、数分前に起こったことをなかなか覚えていられないので、多少不思議なこともそんなに気にならないといえば気にならない。

勢いはすべてを凌駕するのでありました。

 

全体にサービス精神もりもりで、エンドロールまで気が効いてることは素晴らしかったです。

ポストクレジットシーンをねじ込んでまで、何の関係もない観客に無理やり長いエンドロールを見せようとするハリウッド映画はちょっとああいう方向でご検討いただけないものだろうか。

これほどたくさんのCGを使ってるのに、こんなにあっという間に終わるエンドロール観たのは初めてな気がいたします。

 

 

そして不思議で仕方ないナートゥダンスなんですが、これは特殊な撮影をしたものをコマを落として再生したりしてるってことなんですか。

それとも人口が多いと中にはこういう早送りみたいな動き方ができるすごい人もいるっていうことなんでしょうか。


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猫の穴惑い

冬の入口に、冬眠のための巣穴を見つけられずにウロウロしている蛇のことを「穴惑い」というそうだ。

家猫も、この季節は頻繁に穴惑いする様子が観察できる。

南向きの窓から入ってくる冬の柔らかいひだまりの、あの日向に座ろうか、こちらの日向で眠ろうか。ぬくぬくした布団の上か。はたまた炬燵も捨てがたい。

こたつ布団のまわりをウロウロして、入り口が見つからないときは、もちろん人間を呼ぶ。

「穴がないんだけど?」のニャアを聞いた人間がドレドレと布団の端を猫の額ほどの高さまでまくり上げてやると、猫は機嫌よく中の快適さを測りにいく。

「ここも、悪くないね」

などと言い言い、尻尾を振り立ててまた出てきては、もういっぺん、どのひだまりか、どの毛布の上か、どのこたつ穴か、順ぐりに回って選ぼうかウロウロする。

途中でいったん人間の足元にすり寄って、愛嬌を振りまくようなサービスさえ入れてくれるのを、私は「ピットストップ」と呼ぶが、とにかく暖かな場所が潤沢な日の猫はごきげんがいい。

 

家の中にどこにどれくらい快適な場所があるかを把握しておくのは猫にとって重要な仕事だ。

そして「どれを選んでも全部楽しそうだけど、一個しか選ばないからどれにしようかな」と決めきれずにいる猫を見ているのは、この世で5本の指に入るくらいの幸せのうちのひとつでもある。

結局、「今日はやっぱりこたつを攻めよう」と思った猫が、肩甲骨のあたりをぺったり低くしお尻を高く振りながらこたつ布団を押して中へ収容される。

「一人で入れるじゃん」

という、飼い主のツッコミは猫が消えたあとの空間にぷわぷわと漂って暖かな冬の眠気に変わった。

『第七官界彷徨』~いつの間にかコミック版が出ていた

「ここのところ急に寒いから急いで形にしてしまおう」

などと思いながらせっせと毛糸を編んでいると、なんとなく尾崎翠の『第七官界彷徨』が読みたくなる。

好きな色や感触の素材を選んで「ありうべき形」を思い浮かべながら一人でちょっとずつ積み重ねていればいつかは何かしらのものが完成する、その感覚が非常に『第七官界彷徨』っぽいような気がするのだ。

チマチマ。チマチマ。

家がひとつの生命体であって、自分はその中の細胞であるようだ。

だから自分の喜怒哀楽は、全体の生命活動の一部であることによってちょっとばかり免責されている。

 

「たしかKindleでも買ってあったと思うけど」と思って検索したら、知らない間にコミック版が発売されていたのでちょっと驚いた。

たしかに小説でありながら少女漫画的にかわいらしく絵画的な作品ではあるのだが、どうやっても絵にはならないだろうと思う文章特有のユーモアにあふれてもいる。

あんまり気になったので買ってしまった。

 

「誰かの頭の中に完成した第七官界」を覗き見るという経験が、とっても面白かった。

「あー、その口笛の素っ頓狂さはやっぱり絵になりきらなかったかあ」とか、

「その机の足元に潜り込むところはもうちょっと猫っぽい仕草なんじゃないのかなあ」とか、

「そのぶん思い切った素っ頓狂さは着物の柄で表現されたのですねっ!」とか。

人様の第七官界を見せてもらえる機会があろうとは思っていなかったので、非常に愉快。

絵画で見ると、文章でまっすぐ上下上下と読んでいるときよりも、空間に関するお話であることがより明確になっており、またちょっと違った角度の面白さが見える気がする。

 

「しかし試験管で育てたかいわれ大根から四人分のおひたしは作れないだろうよ」

などと思って、時々にやりと笑いながら、私は私でいつかは仕上がるくびまきをせっせと編み続ける。

自分の好きなものをできるだけ大事にし続けようと頑張った人の内なる世界。