晴天の霹靂

びっくりしました

君たちは越冬するのかしないのか

初冬の低い陽射しを受けた掃き出し窓に、カメムシが張り付いている。

「あれ、お前さんまだいるの?」

昨日も、同じくらいの時間に、同じ場所で見かけた訪問者ではないか。

もうずいぶん気温も低いから、こうして日向ぼっこしてからでないと餌を捕りにもいけないのだろうと思って、そのままそっとしておいたのだ。

なぜ動かないんだろう?と、よく見れば、カメムシは外から張り付いているのではなく、二重窓の内窓と外窓の間に入り込んでしまって、出るに出られないのだ。

「これはこれは失礼した、言ってくれればよかったのに」

出ていけるように外窓を明け、しばしの間四角い背中を見守る。

 

先日、選挙の投票日で近所の小学校に行ったときに、廊下におもしろい手書きの張り紙をみつけた。

「ザリガニが逃げました。見つけた人は生活環境係まで教えてください」

とあり、手書きのイラストが添えてある。

そうか。ザリガニ、どっか行ったかあ。それは見つからないだろうなあ。

せっかく家から覚えてきた審査用の最高裁裁判官の名前を忘れないように頭の中で何度も繰り返しながら、行きがかり上ザリガニのことも心配する形になった。

あの人と、あの人と、あの人と、ザリガニ。

 

私が10日前のザリガニのことを考えてる間にも、目の前のカメムシは微動だにしない。

寒くて動けないのかもしれないが、今逃げてくれないとこちらとしても打つ手がない。

いつまでも外窓をあけておくわけにもいかないし、だからといってカメムシであるからには、こちらから催促してつついてみる、という気分にもなれない。

「いいの?もう知らないよ」

などと、ついには半ギレ気味に外窓を閉めて、元通り閉じ込めてしまう。

少なくても二重窓の間なれば、猫に襲われる心配だけはない。

気の毒だけど、あとは自力で寿命まで頑張ってもらうより他にない。

 

カメムシ越しに外を見やれば、立冬過ぎてめっきり世界が心細いようである。

居なくなったザリガニも、居なくならないカメムシも、迫りくる冬の予感に困惑している様が弱い陽射しのどこかから小声で伝わってくるようだ。

 

君がそれを測るとき、君の生活もまた測られている

これまで生きてきた中でほぼ意識にのぼったことがなかったけれど、生活に入り込んできた瞬間からのQOLの上昇に驚いて、これまでの人生をちょっと反省する。

そういうものが、日々の暮らしの中には時々出現する。

あんまり地味すぎてそのうち便利であることさえ忘れるので厳かに書き記しておこうと思う。

 

 

50センチの竹定規を買ったのだ。

50センチの竹定規って、ある家にはなんとなく半永久的にあると思うし、ない家には「わざわざ買いに行く」という意識を持たれないままなんとなくないのではないかと思う。

我が家は、「ない方の家」だった。

長い定規があれば便利だ、くらいのことはもちろん知っているが、だからと言って、味噌とほうれん草と豚の細切れを買ったついでに

「そうだ、50センチの竹定規も買ってかえろう」

と思う日は永久に来ない。

だから、なんとなく、いつまで経っても我が家には50センチの竹定規がない。

 

事態が動いたのはある日私がチャコペンシルを買いに手芸屋さんに行ったときだ。

チャコペンシルを買う、というのも家庭科の授業以来のことであるようにも思うが、近頃私は細々と衣類を直す機会が増えている。

理由は自分でもよくわからず、もしかしたらユニクロ的なファストファッションがひと頃より品質が良くなって全体の寿命が伸び、手入れさえすれば結構いつまででも着られるようになってきているのかもしれない。

「どう考えてもまだ捨てるのはもったいないな」

と思うものが増えるにつれて、繕ったり、袖をつめたり、丈を直したり、めっきり手を加える機会が増えた。

 

「こういう生活をしている以上は、やはり長い竹定規ではないか」

と、ふと手芸屋さんで目を止めたのだ。

見ると500円程度ではないか。

こんなに安いとは知らなかった。

それに昔は、学校の授業で使った30センチ定規でさえもっと長かったような気がするが、今手芸屋さんで見る50センチは、なんだかえらく心細い。

「令和になって定規も短くなってきているのか?」

などと語義矛盾を物ともしない郷愁に駆られて買って帰る。

ここだけの話、実は浜崎あゆみと同じ年なのだが、50センチの定規を持つと一応チャンバラの構えで道を歩いてしまうものである。

なぜ人は長い棒が好きなのか。

 

そうして我が家はその日から「50センチの竹定規のない家」から「50センチの竹定規のある家」へと変化を遂げた。

なんだか知らないが、実際よく使う。

繕い物をするときに使うのみならず、「具体的に何に使ってるの」と聞かれても困るくらいの日常の細々したことに頻繁に出番がある。

押入れの天袋にある猫部屋のカーペットがまくれたときにちょいちょいと直すとか。

ダンボールを切って台所の引き出しの下に敷く下敷きを作るのに線を引くとか。

いずれも竹定規がなくてもできる作業であるが、竹定規があることで劇的に楽だし、物事をちゃんとやってる感がある。

そして長いわりに全然邪魔にもならない。

 

こんなに安くて汎用性高く使えて便利なものを、なぜ今の今まで買おうという気をおこさずに来てしまったのか、考えれば大変不思議なことだ。

長い定規は人類の英知だから、どこのご家庭にも置いといたほうがいい。

 

 

 

ケーブルフィギアはマグネットを貼る以外にどういう使い道があるというのか。

買い物があって近所の家電量販店に行ったら閉店セールをやっていた。

たぶん、普通なら目に止まらないであろうケーブルフィギュアという謎物体が300円になっていたので2つ買う。

我が家の机の周りには、iPhone充電用のケーブルと、Kindleポメラ充電用のケーブルと、ネックスピーカー充電用のケーブルが常にピロンピロンしている。

許しがたいことだと思っていた。

そもそもが「そっちで話し合って一本のケーブルですむようにしておくべき」なのだ。

なぜ私がいつも机周りに複数のケーブルをピロンピロンしておかねばならぬのか。

 

積年の不満を込めて瞬間接着剤でフィギアの背中に小さいマグネットを取り付ける。

曲面が多くて安定しにくいので、できるだけ平らなところを狙って接着。

f:id:rokusuke7korobi:20211108212501p:plain

ちなみにケーブルに猛烈な歯型がついているのは先代の猫だ。我慢強くて優しい子だったが、噛み癖だけはどう説得しても治らなかった。

 

 

はい。

f:id:rokusuke7korobi:20211108212737p:plain

ピロンピロン解決。

そもそもごちゃごちゃした小さいものはマグネットをつければなんとかなる、という信仰を持っているので、小さいものにはだいたいマグネットをつけてある。

実際わりとなんとかなる。

f:id:rokusuke7korobi:20211108213055p:plain

上から、ボールペン、猫用ブラシ、照明用リモコン、である。

もう世の中の細かいものは全部、磁力で面収納していけばいいと思う。

 

 

ネックスピーカー用充電ケーブルに関しては、一見他と同じような形状でこちらを油断させておいて、実はどの電子機器とも共有できないという挑発仕様をちょっと根に持っていたので直付けの刑をしてしまった。

f:id:rokusuke7korobi:20211108213517p:plain

あろうことか仮止め用のセロハンテープごと接着するという暴挙に出た(というか接着剤が大量に出てしまったので溢れた)ため、一生セロハンテープの中で生きていくことを運命づけてしまったことになる。

こうして見ると、もう少し優しくすべきであるようにも思うので次に店に行ったときにまだ閉店セール半額でケーブルフィギュアを売っていたら買ってやろうと思わないでもない。

 

 

Amazonの購入履歴を見たらこのタイプのマグネットを合計260個も買っていた。

我ながら何をそんなに使ったのか。

なんでもマグネットで解決する女。

そもそもバレルってどれくらいなのか。

ニュースはラジオから得ることが多いので、音の世界が視覚の世界と遊離することが度々あります。

昨日あたり頻繁に流れていた「OPECが石油の追加増産を見送り」私にはこのようなニュースでした。

f:id:rokusuke7korobi:20211106152722p:plain

OPECの石油追加象さん

 

「増産」は単独だと「炭酸」と同じアクセントなのに、「追加」がつくと「象さん」になるのでした。

そして『オツベルと象』を思い出して勝手にちょっと切なくなった、冬の入口。

象さん、象さん、灯油も高いのね。

 

 

腹の上の猫をめぐる洞察

真夜中に苦しくて目を覚ますと、腹の上で猫が寝ている。

暗がりの中で、私の呼吸に合わせてかすかに浮き沈みしている黒猫。

かわいい。

いや、そうじゃない。苦しい。

「ちょっ、ちょっとまろちゃん、ごめんよ」

などと言いながらそーっとそーっと寝返りを打つと、黒猫は

「なんだよ、いい夢見てたとこなのに」

という感じで、不満げにどこかに行ってしまう。

申し訳ないことだが、苦しいし眠いのだ。

猫が夜中に寒い思いをしないように、ちゃんと布団のすぐそばにホットマットをつけてある。

我々は何年も寒い季節の夜はそうやって暮らしてきたではないか。

 

それにしても苦しいな、と思って目を開けると、腹の上にまだ猫がいる。

あれ、さっき我々は一旦別れて、そして私は左を向いて寝たのではなかったか。

猫はたぶんホットマットのほうに移動したはずだ。

なぜ今、私は再び仰向きになっており、猫が呼気に合わせて浮いたり沈んだりしているのか。

「さっき」から「今」までの間にいったいどれくらいの時間が経っているのだろう。

そして猫は仰向きになるのを寝ずに待ち構えていて、私が腹を天井に向けた途端にいそいそのってきてるということなのだろうか。

「まろちゃん、ごめん。ちょっと、ちょっとあの…」

色々詫び言を言いながら再び寝返りをうって横向きになる。

猫はおそらく不満げな顔をしながらホットマットのほうへ移動する。

あまりにも二度寝力がありすぎるために不明確なのだが、我々は夜の間にこんなことを何度繰り返しているのだろう。

朝起きても、猫はやっぱり腹に居る。

 

小さくて可愛らしいが猫は本来肉食の獣である。

思うに、どこに重要な臓器が集まっていて、構造上どのへんが弱点なのか、という生き物の構造についてはある程度生来の勘が働くはずなのだ。

腹には臓器がしまってあり、柔らかいところは肋骨で保護されていない部分だから、圧迫し続けるとゆっくり生命活動が阻害されるはず、くらいのことを気づかないほどお前さんが愚かだとは思っておらんよ。

 

朝が近いのを予感してランランと目を光らせ始めた腹の上の猫の両耳の間をなでながら私は考える。

だがしかし、猫の立場になってみれば、飼い主の柔らかい腹の上で眠るというのはもっともやってみたいことのひとつだ。

暖かくて、柔らかくて、ちょうどいい具合のf分の1ゆらぎがあって、寝床としてはほぼ完璧であろう。

「寝てる間に消化器系を圧迫し続けると生命維持活動に悪そうだけど、死ぬほどでもないだろうし、仕方ないかあ」

程度の逡巡を一瞬感じて、しかるのちにそーっと腹の上に乗ってきて、気持ちよくって寝るんだろうか。

「ねえ、そういうことなの?」

寝ぼけながら話しかけると、なぜか気をよくした猫は盛大にゴロゴロ言ってご機嫌である。

 

私だって自分が猫なら飼い主の腹の上で寝る誘惑には耐えられないだろう。

しかし、この場合、なぜ私が猫で、彼女のほうが飼い主ではないのだろうか。

 

 

猫にも人間にも長年大人気のミニホットマット。毎年仲良く奪い合って、現在二代目。

珪藻土バスマットの捨て方 ~正式なやり方があるに違いないと考え始めると出口がない

 

珪藻土マットを、最近買い替えました。

新しいとやっぱり吸水力があって大変快適ですね。

もう何年も前に珪藻土バスマットに買い替えてから、洗濯物が乾きにくいシーズンのストレスが激減したことにはたいへん感動したものです。

しかし、一時期ちょっと乾燥が甘いままで狭い隙間に立て掛けて収納したりなんかしてるうちにカビを生やしてしまい、

「これはいかん、買い替えよう」

と思っていました。

実際店頭で新しい珪藻土バスマットを手にとった日もあったのですが、ついに購入に至らなかった理由はひとつ。

「古いやつの捨て方がわからない」

 

ゴミ袋に入れるには、微妙に大きすぎる。

しかし、粗大ゴミってほどのものでもない。

のこぎりやハサミで切れるようなものでもない。

これは一体いかにして処分するのか?と自治体のサイトを調べたりしてみても珪藻土バスマットについては記述なし。

喫緊で買い換えなければ即座に生活に支障をきたすようなものでもないから、そのままぐずぐずと使い続けて何年も経ってしまう。

カビはどんどん拡大する。これはいかん。

 

何年間も考えに考えた末の解決策が「ほとんど何も考えてないみたいな手法」に落ち着くというのは、ままあること。

ついにある日、業を煮やした私は珪藻土マットをベランダに持ち出し、ちょっと傾斜をつけてサンダルを履いた足で上から乗ったのでありました。

「ベリッ」

と、やや切ない音を立ててそれは大した苦もなく割れました。

もう一度、今度は90度回転させて上から乗り、ついに長年悩みのタネだった珪藻土マットは4分割されたのです。

小さくなった珪藻土マットをごみ袋に入れながら私はしみじみ思ったものです。

「この程度のことをことを、なぜ何年も思いつかなかったのか」

 

世界には、今この瞬間にも珪藻土マットを買い替えたいと薄々思いながら捨て方がわからずに暮らしている人が、二百人くらい居るような気がするのです。

私はその人たちに言いたい。

体重かけて割ればいいのよ。

もう布には戻れない。

衆院選2021反省会

初めて自分の選挙区の全候補者の街頭演説を聞いて回ったおかげもあってずいぶん面白かった衆院選挙。

地元選挙区の結果は0時を回るまで当確のでない大接戦の末、与党候補が選挙区を取り、その後野党共闘の候補者も比例復活。残る一人が落選でありました。

f:id:rokusuke7korobi:20211101170357p:plain



選挙区当選した候補者を見てきた印象は「とにかく怖くて近づけない」というものだったんです。

街頭演説は豪華選挙カーとダークスーツの面々でガードを固められており、明らかに別世界の人だなと思ったもんです。

当確後の事務所のお祝い風景でも、やはりどこまでも黒っぽいスーツの波がバンザイをしているのを見るにつけ

「組織的おじさんの代表者という街頭での印象は間違えてないもんだな」

と感心しました。組織、強し。

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

 

比例復活した野党議員は、選挙期間中は一時間おきにスーパー前やら駅前やらで街頭演説の予定をみちみちに組んで前日にはSNSで告知しており、聞きに行けば駆け寄ってきて声をかけてくれるので

「なるほど、会いにいける政治家だ」

という印象でした。

深夜までかかった開票の翌日も、朝から地元駅前で辻立ちする様子やら、支援者へのお礼メッセージ動画をアップしたり、相変わらずの身近な印象なので、選挙のたびに支援者も増えていくのではないか、などという感想を持ったりするのでありました。

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

 

落選した候補者は、街頭演説の予定をほとんど告知しない人なので、唯一あまり話を聞けなかった人でもありました。

ただ一度、演説の終わりかけくらいにたまたま遭遇したときに直接本人に

「今後の街頭演説の予定を教えてほしい」

と言ったところ

「できるだけツイッターにあげようとは思ってるのだけど手が回ってないので、事務所に連絡して」

と言われ、生まれてはじめて選挙事務所というところに電話をかけてみるという経験をしました。

そしたらびっくりしたことに、まさかの誰も出ない。

「きっと人もお金も足りていないのであろう」

と、だいぶ好意の解釈をしたのですが、その後選挙戦後半になるにつれ、他党に関して批判的な投稿はしばしばアップされるようになり、しかし街頭演説の予定などは相変わらず告知されないのは、ちょっと納得いかずじまい。

結局ツイッターでは投票日前日のマイク納めの投稿が最後で、開票結果が出てからの報告などもなく、疲労困憊の心中はお察しするとしても、この感じのままで立候補し続けててもなかなか支援者はあまり増えないものではないのだろうか、などと老婆心でありました。

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

 

いくら個人を見て演説を聞いても、はっきり言えば党の公約にないことは実現されないんだろうし、

もっと言えば与党の公約にないことは実現されないんだろうし、

さらに身も蓋もないことを言えば与党の公約でも別に実現される気もたいしてしないもんです。

さはさりながら、でもやっぱり選挙が面白いのは生身の「人」がやってるからであって、見られるものなら生で見ておいた絶対おもしろいよなあ、とは思ったのでありました。

来年の参院選も楽しみに待つ。

 

 

この本、本当に面白いですよ。